母と私の備忘録

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは。Bライン府中寿町店の山中です。

 

 

心の整理がようやくつき、今日からブログ再開します。

 

 

 

9/23に最愛の母、親友のような母が
80歳で人生の幕を閉じました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨年の11/13に、父が86歳で永眠
母は父が大好きでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

その父が亡くなり泣きあかす日々の中、
自身の手術を11/26に行いました。

 

3週間程で退院できると言われた比較的簡単な手術でした(腹壁瘢根ヘルニアと腹壁膿瘍)
ところが以前開腹手術を数回したことが
原因で小腸の癒着がひどく、手術2時間のところ5時間かかってしまいました。
その際、癒着をはがす時に腸を傷つけてしまい三ヵ所を切って縫ってをしたと術後に聞きました。

 

ここから母の治療との戦いがはじまりました。

切って縫った腸がうまくつながらず縫合不全を起こし腸液が漏れるようになりました。

そこを自然治癒でくっつくようあの手この手を行ってきました。
1ヶ月間絶食、消化の良いもののみの食事制限。
ガーゼ交換は3~4時間ごとに行います。

手術から約3ヶ月後にだいぶ良くなったとのことで退院

 

すぐに自宅には帰せないのでしばらく我が家で過ごすことにしました。

 

3月~5月の3ヶ月
一緒に暮らしました。

 

3/10に80歳を迎え、私の誕生日も近いので一緒にお祝い🎂
娘家族も一緒に多摩動物公園に行きました(以前ブログで掲載)
そこのトイレで緊急ボタンを押し警備員がもうダッシュ🏃🏃‍♀️🏃‍♂️・・・😅
なのに母は「間違えちゃった…」と動じることもなく私だけが平謝り🙇💦💦

 

そんな頃からコロナ対策がはじまりました。

さらにこの頃我が家では、主人が突発性難聴にかかり自宅療養。

今まで自由気ままだった生活が一変😓

さらに4月、主人が白内障の手術

 

そして、4/7
緊急事態宣言により余儀なく休館
こんな生活状況に加え売上減少が止まらずBラインを閉店する決意をしました。

 

重なるときは重なるものでかなりしんどい時期でした。

 

しかし会員の皆様から何とか続けてほしいと言われたことと、行政からの補助金や給付金等々があり気持ちも揺らぎ、もうひと踏ん張りしてみるかと奮起!

 

「お店やめる」と言ったとき母は
「そうかぁ せっかくはじめたのに残念だね」と言い
「やっぱりやることにした」と言うと
「そうかぁ まぁちゃん(私のことをそう呼びます)なら大丈夫!又忙しくなるね、頑張って!」と励ましてくれました。

 

GWを迎える頃にはすっかり腸液も少量になりだいぶ元気になりました。
「これなら6月から自宅に戻れるね」と
話していました。

 

 

 

緊急事態宣言中でしたので、一緒にリハビリの為に玉川上水沿いをゆっくり散歩。
止まってはストレッチやスクワットをしました。
洗濯は母の役目にし少量の買い物も一人で行けるようになりました。

 

カラオケが好きでもお店には行けないのでタブレットで好きな曲をかけると良く一緒に歌っていました。

 

ビールとうなぎが大好きで良く食べてました(うなぎは孫からのプレゼント)

 

着実に体力も回復し、いよいよ自宅に帰れるねと話していた矢先、徐々に食べられなくなりお腹が痛いとのことで外来へ
腹膜炎を起こし5/25に再入院。

 

実はこの日からBラインのリニューアル集中工事スタートの日!
これから忙しくなる日でした。

それがわかったかのように入院。

自宅にいて気になっているよりは安心と
リニューアルに向けて準備に集中出来ました。

 

 

7/4再入院から41日
無事退院。
その足でビールとうなぎが食べたいとお店に直行!
美味しそうに食べてました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日は、美容院へ
調子は戻ったようでした。

 

我が家へ戻りしゃぶしゃぶを食べました。
「あれっやわらかい肉なのに食べにくそう」
そう感じた私は痩せてしまったので入れ歯も合わなくなってることに気付き、入れ歯を作り治そうと予約。
母もその気になってました。

 

 

数日過ごすうちに又体調不良に・・・

7/9 外来受診
7/10 救急車で病院へ
7/12 救急センターからの再再入院。

日々、体のなかで異変が起きているようでした。

主治医から治すためのいくつかの提案を受けました。
順に試すのですが、うまくいきません。
母も辛いらしく険悪な状態に・・・

 

ある日主治医に呼ばれました。
「これ以上、うちでできることはありません」と
そして、8/1半ば体調不良な状態で退院。

 

その足で高齢者支援課へ行き介護保険の更新手続きに

そして、やはりビールとうなぎが食べたいとお店へ
でも食べたのはビール二口とほんの少しのうなぎとご飯

 

 

一度実家で休み、私の自宅へ連れて帰り
家につくとお風呂に入りたいと母。
入院中一度もシャワーも浴びなかったのか風呂はアカだらけ

 

8/2 比較的元気。でも食欲は無し
心配で私の長男が駆けつけてくれました。
長男に励まされると
「頑張る」と笑顔を見せた母

 

8/3、朝から体調悪い
トイレに間に合わずうんちを漏らしてしまい落ち込む

 

8/4、朝から風呂に入るとさっぱりしたと機嫌がいい。
しかし、昼頃から具合が悪くなり緊急で病院へ。点滴をうけ落ち着く。

腸液も大量に漏れているのでこのまま自宅でみることは危ないと感じ、ケアマネージャーに相談。

 

8/5 同病院敷地内の地域包括ケア病棟に入院することになりました。

入院できたことに安堵はするものの急にガクッとしてしまった母の姿に心配はつきません。

入院中、良くなったり悪くなったりの繰り返し。
毎週末、病院へ行きましたがコロナ禍で、会えたのは4回。

 

8/8 熱が出て隔離されてた日
8/11 介護認定調査の日
8/29 カンファレンスの日
9/3 外来に付き添いの日

 

最後にあった日に、大切なものを入れたバックを強引に渡されました(病室で盗まれることが何度かあったのもあって・・・)
このバックの中には、父にプレゼントしてもらった大切な貴金属や私がプレゼントした財布やメモが入っていました。

 

その母の大切なものは私の形見になりました。

 

9/19(土) 亡くなる4日前の朝、母から電話
「大きくて種のないブドウが食べたいの」
ほとんど口から物が食べられなくなっていたので、すぐに種無し巨峰を買いにいき洗いすぐに食べられるように、9粒を使い捨て容器に入れ病院へ届けました。
やはり会うことは出来ず15分後電話をかけてみました。

 

すると
「ブドウ2粒食べれたよ。甘くて美味しい。まぁちゃんありがとう。ちょっとずつ食べるね」と

良かった。
食べることができて本当に良かった。

 

翌9/20(日)
夫の誕生日を娘家族とお祝い中(前のブログで掲載)
長男から連絡があり
「ようやくあゆちゃん(お嫁さん)に赤ちゃんが出来ました(5ヶ月)。予定日は来年の2/28」

その報告に家族で喜んでいる中、母から電話

真っ先にそれを伝えると大きくて本当に心から喜んでいる声で
「エーッ 良かった~!ようやくカズ(長男)にも赤ちゃんが生まれるんだ。それまで頑張るよ~」と相当嬉しそうな母

 

そしてみんなで誕生日をお祝いしてることを伝えると
「そこにおばあちゃんがいたら もっと楽しくなるのになぁ~」と……

おばあちゃんもいたかったではなく、そこにおばあちゃんがいたら みんなが楽しくなるのね。さすがの返しだ…(;^ω^)

 

 

そして
「みんなに代わって」と

順に、私の夫、孫の美沙、孫の夫、ひ孫?とたわいもない話をしていました。

 

最後に私に代わると
「まぁちゃん、いつもありがとうね。ブドウは少しずつ食べれてるよ。本当にありがとね。苦労かけて悪いね。ありがと。・・・携帯が重いの。もう切るね。」と母

「わかった。じゃあ調子の良いときに明日も電話ちょうだいね」と私

「うん、わかった。ありがと・・・ありがとね・・・じゃあね」と母

これが最後の会話になってしまいました。

 

 

翌9/21 9/22
電話をしてもメールをしても応答がなく心配で心配で心がぞわぞわしっぱなし
病院に電話をしたくても「病状のことで電話はしないで下さい」と言われていたので我慢していました。
でもやっぱりおかしいので翌早朝に電話をかけると決意し就寝。

 

 

 

 

その夜中に病院から電話
嫌な予感

「息をしていません」

「エッ……どういう……亡くなった?と言うことですか?……エッ?」

「今から来れますか?」

「わかりました。今から行きます。」

号泣しながら夫を起こし病院に向かいました。

病院に駆けつけたときには、残念ながら間に合いませんでした。

まだ母のぬくもりがかすかにありました。

 

 

 

9/23(水) 2:39 臨終を告げられました。
「急性循環不全」

 

力尽きて、とうとう逝ってしまいました。

20日ぶりに会う母は、さらに痩せていました。

亡くなる4時間前
「カーテン開けて。カーテンを3つに切って」と言っていたとのこと。

その後の巡回で様子がおかしいことに気づき蘇生をしつつ電話をくれたようでした。

この日はお彼岸
ねぇ「カーテン開けて」は、父が迎えにきたのかな

辛かった闘病生活に
「頑張ったな。もうそろそろ一緒に逝くか」と父が迎えに来た気がします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お彼岸に逝く人は、「天寿を全うした良い人生を送り、さまようことなくあの世にいける。生前に様々なことをやりとげ、その功績を称えられ、死後お釈迦様のお手伝いをができる」という言い伝えがあると聞きました。

 

お彼岸に亡くなる人の意味を知り少し心が和らぎました。

 

本当に母は良く頑張りました。
1年間、お腹の痛みや辛さとの戦いに終止符を打ち、ようやく楽になったことでしょう。

 

 

回復してくれるものと信じ転院先も決まった矢先のまさかの急逝にポロポロメソメソの日がまだ続いていますが、
「日にち薬」という言葉があるように
時間が解決してくれるのでしょうか。

 

 

今思えば我が家にいた3ヶ月、生まれてからのこと、父との思い出をずっと語っていました。
それは自分の人生を私に伝えてくれる為だったのでしょうね。

 

頑張って頑張って頑張り抜いた母に負けないよう私も頑張って生きていかないと・・・

 

 

 

 

大好きだった母へ

今まで本当にありがとう。
「まぁちゃん、いつも悪いね。いつもありがとう」と何度も言っていた母
こちらこそ「57年間支えてくれてありがとう」だよ。
楽しかった思い出はいっぱいある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ユニークで自由奔放

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

愉快な母でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私を生んでくれてありがとう。
私はあなたの娘で幸せでした。
これからはお釈迦様の仕事を手伝いながらずっと見守っていて下さいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、この悲しさ辛さを忘れるには、没頭だ!

 

 

さぁ気持ちを切り替えて、頑張らなくちゃ!

 

又、よろしくお願いします。

 

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