こんにちは。Bライン府中寿町店マネージャーの山中です。
沖縄から戻った翌日午後
義母訃報の電話
7/7
食事が喉を通らなくなり入院
老衰で、もって1ヶ月程でしょうと告げられる。
点滴をして少し回復
7/12~7/13
夫と息子が会いに行く
ニコニコと笑い、手で躍るような動きをする。
意思の疎通は出来たそうだ。
毎日お見舞いに行っている義理の妹から
「いつも寝ています。ごはんも飲み薬も口から入る物は受け付けないそうです。検査したが心臓と腎臓以外の悪いところは無いそうです。老衰で段々機能しなくなってきています。点滴1日500ccであまりすると浮腫などの原因になります。点滴は3秒に一滴でゆっくりです。段々悪くなっています」と連絡有り
7/22
「青森の母親は、声をかけても反応なし。手を握ったら、しかめっ面をした。ただ穏やかな顔をしてます」と連絡有り
スローで、身体の機能が衰えていく様子
そして、
7/24 訃報の連絡
入院から18日目
娘家族に看取られ安らかに逝く
見事な最期
95歳
天寿を全う…立派だ
こんな風に逝けたらいいな…そんな最期でした。
亡くなる前に夫が会えて本当に良かった。
私も沖縄行きを断念しようかと悩んだ。
でも夫か逝く時は逝く
そのタイミングで帰って来ればいいと言ってくれたので私は沖縄へ行った。
そして、帰宅後の翌日の訃報だった。
このタイミング
お義母さん、ありがとう
私は義母から嫌味な言葉や態度を一度もとられたことがない。
いつもにこにこ優しかった。
「まさこさーん」と私を呼ぶ
「まさこさーん、これやってへ」
年に1~2回訪れていた。
私の両親と共に、
十和田湖や奥入瀬川
鎌倉
山形~仙台
沖縄にも行ったね。
色々思い出すな~!
義父は頑固な人だった。
なんかうまくかわしながらコントロールしていたような…
義父は義母の夢だったお弁当屋さんを開業
お弁当屋さんの名前は「ひかる食品」
母の名前光子からとった名前だ。
調理場を義母が…
配達を義父が…
前日市場で食材を仕入れ
日替わり弁当のおかずを決めていた。
そして仕込み
大きな鱈を裁いていたのをよく覚えている。
「まさこさーん、やってみる?」
「ちょっと無理だと思いますので遠慮します😅」
すると義母は笑う
朝早くから晩まてよく働いていた。
だから夕飯時はうとうと…🥱…
そんなかわいい義母
お店で出していた義母の作った煮干し出汁のラーメンが大好きだった。
私の両親もリクエストしてご馳走してもらっていたっけ。
夫曰く「子供の頃はよく怒られたり叩かれたよ」と
へ~イメージないな
4人の子供を生み育てた。
男男女女
夫は長男。夫のすぐ下には弟がいた。
だが極寒の冬、寒さをしのぐ火鉢で温めていた湯を誤ってひっくり返し火傷で亡くなった。
それをずっと後悔していていつも仏壇で手を合わせていた。
身体を引き裂かれる程辛かったであろう
子供たちは、それぞれ家庭を持ち
孫が7人
そして、その孫たちが結婚しひ孫7人
ひ孫までみれて幸せだったんじゃないかな…
人生色々
本当にすごい
今まで、ありがとうございました。
嫁として何も出来なかったけど
お義母さんの生き方を尊敬しています。
どうぞゆっくり安らかに
そして、私たちを見守って下さい。
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